あお くろ ぎんいろ。

ぽつっと、ひとりごと。 たまに、しゅみをつめこんでみる。

2025.6.20_発言小町というお悩み相談掲示板の話

 

 

 

 


こんばんは。
こんにちは。

 

何かもう…久しぶりに「ぐぬぬ…」となってしまった話を書きます。
発言小町」という、読売新聞が運営しているお悩み相談の掲示板での話です。
何かの調べ物をしていたときに偶然見掛けて(見掛けちゃダメだったんだこんなもの…!)、完全に他人事なのに、あまりの怒りに拳を握り締め、掌から血が滲むような思いをしました、という記事。

 

 

お悩みの内容は、詳しくは伏せますが、「付き合っている彼氏が相談(愚痴交じり)を聞いてくれない。もう相手には頼らない方がいいか」というようなもの。
こうした悩みに対して、これを書いている現時点でも、9割方の人々が、否定的というか、むしろ攻撃的とまで言える返答をしています。

 

自分としては、これらの返答に対して非常にツッコミどころ満載というか、相談者 (発言小町内では「トピ主」)  とは全くの他人なのに、憤りしか覚えていません…
そんな自分の気持ちを整理するために、この記事を書きます。

 

1.相談のポイントからずれた返信内容の多さ

トピ主が相談したい内容から逸れた情報提示しかしていないならまだしも、提示された情報と相談内容は、概ね一致しています。
にも関わらず、返信の内容がほとんど、相談の趣旨と関係がない。適確でないにも程がある。


そもそも、文字数が限られている以上、ポイントを絞った情報しか提示できない。
つまり、断片的な情報しか知らないくせに、そこから相手の気持ちを妄想したり、「今の職業にトピ主が向いていない」「こういう人に限って〜〜」といった断定、「今のままで十分幸せ」という決め付け(何が幸せかは本人しか決められない)、「私ならそんなことしない、だからあなたの~~はダメ」「〜〜しなさい」という命令、押し付け。


あなた方は、トピ主とどういうご関係ですか?


「彼氏はトピ主とは他人だから」と言いながら、自分たちはもっと他人のくせに、少ない情報から勝手に妄想を膨らませ、その妄想を「きっと事実だ」とすり替え、作り上げられた「事実」に基づく自分の価値観を押し付ける。見ていて辟易します。

 

 

2.「男だから」「女だから」「男女の価値観の違い」という性別による固定観念

「男は解決策を求める生き物で、女は話を聞いてほしいだけの生き物だから、噛み合わない」「愚痴を聞かされると疲れる」という言論もいくつも見られました。
その中で特に、「私も女ですが、同じ女から見ても~」と言い、その後、「○○女」とトピ主のことを呼称していた酷いものもあります。


これだけジェンダーの概念が広まっている昨今、あなた方は今更何の話をしているのでしょうか。
愚痴だろうが相談だろうが、オチのないつまらない話だろうが、そんなの内容に関係なく、相手の話を聞いたら共感する能力というのは、対人関係において重要なんじゃないんですか? 男女に関係なく! 人として!!
コミュニケーションですよね。疲れているなら、「私は今疲れているから、後で聞くのでもいい?」とかでもいいじゃないですか。
何故それが、「愚痴を言うあなたが悪い」「愚痴なんて穴穂って埋めろ」なんて言えるのでしょうか。
対話において、YOUメッセージではなくIメッセージが重要であると、あなた方は(返答の中で用いているから、敢えて書きます)「成人として」、学んでいないのですか?


それに、男性でも話を聞いてほしいだけのときもあれば、女性でも解決策を求める人もいます。
性別ではなく、個性に重きを置くべきなのでは。

 

そしてもう一つ、「愚痴を言うな」という、最も酷い返信。
「愚痴ならChatGPTにでも言え、人に言うな」。これは酷すぎる。
どうして愚痴を言ってはいけないのでしょうか。
あなた方は、ChatGPTが開発される以前も含め、生きていて今まで一度も、家族・友人を含め、誰にも弱音や愚痴を零したことが無かったのでしょうか。
弱音を吐くな、愚痴を零すな。こう言う人たちが、人を追い詰めるんです。
世の中の人々全員が、あなた方ほど強くできていない。
人は弱ることもある。そんなこと、証明する必要のないほど当たり前のことですよね。
相手に対する想像力の欠如も甚だしい。
他人が皆、自分と同じ「強さ」を持ち合わせているなんて、想像力が無さ過ぎます。
人は様々なんですよ、当然でしょう。
生まれ育った環境も異なれば、生まれ持った性格や気質も異なる。
ならば、同じ環境に置かれたとて、できること、できないこと、その内容も限度も異なっていて当たり前です。
自分と同じ、画一的な人間しかいないなどとお思いなら、あなた方こそ顔を洗って出直していただきたい。

 

想像力の欠如、というのは、ここで述べるどの項目においても共通です。
掲示板で愚痴の話題を出したからと言って、その人が四六時中、口を開けばネガティブがどうかは分からない。
「彼に対する感謝が足りない」と言う人もいましたが、トピック本文に書かれていなかっただけで、感謝している可能性も大いにある。
その人が普段どういう言動で生きているかなんて、その人と一緒に暮らしている人しか分からないんですよ。
あなた方が妄想するのは勝手ですが、その妄想を事実だと思い込んで、それに基づいて相手にあれこれ言うなんておかしいとは思わないのでしょうか。

 

 

3.「ペットを手放せば」という表現による婉曲的な飼育動物の処分の求め

トピ主がペットを飼育している、という情報に基づく返信です。
これが一番腹が立った。
「手放す」という表現をしていますが、それって、保健所に連れて行って殺処分を求めている、ということですよね。
もしくは、動物の保護団体に保護を求めろ、ということでしょうか?
ボランティアの保護団体の経験があるので申し上げますが、多頭飼育崩壊のケースが相次いでいる中、そうした保護の余力がある団体ばかりではありません。
そして、動物の命を何だと思っているのでしょうか。
これだけ世の中で、動物の命が大切だという番組が溢れ、保護犬・保護猫の話も知られており、『HACHI』などのペットの物語で人々が涙していますが。
それらにおいて、あなた方は何に感動していたんですか?
あるいは、画面越しなら、フィクションなら、容易に感動ができるが、現実の話になると同じことは考えられない?
それは単に、想像力の欠如です。


ペットを飼うということは、その命の責任を負うということ。
分かりやすく言うなら、子どもが産まれたことに似ています。
あなた方は、経済的に苦しいから、精神的に一時的に参っているから、「それなら子どもを殺せ」「子どもを養子に出せ」と簡単に言い放てるのでしょうか?
どうして、要らぬ妄想ならいくらでもできるのに、よりにもよってアドバイスを求められている、つまり相手への適切な共感が必要とされている場面で、その想像ができないのですか?


「トピ主には飼育する資格がない」と言っている人もいましたが、もう既に飼っている現状でそんなことを言っても仕方ないですよね?
過去を改変できるわけじゃなし、今どうすべきか、という話ですよね。

 

 

4.知識をひけらかす人

バウンダリーから学んではどうか」という人もいました。
トピックの内容を読んで、トピ主の彼ではなく、トピ主に対して、よくそんなことを言えたものだと笑ってしまった。
言うべきなら、トピ主の彼に対してでしょう。理由は後述です。
「知識として知っていること」と、「実感を伴って知っていること」は別です。
「私はバリバリ働いてきました。仕事でメンタルを壊してカウンセリングも受け、すぐ回復しました」という人がこの意見を仰っていました。
だからこそ思う。「ああ、この人はきっと、カウンセリングの過程でバウンダリーの話を聞いて、自分で調べるなりで知った気になって、それをひけらかしているだけなんだな」と。


先に大切な大前提だから言います。バウンダリーは、自分を守るためのものです。
「あなたはあなた、私は私」という自他境界線を引く、という概念のことです。
自分は自分だ、という空間を持って境界線を引くことで、そこを踏み越えて相手に入って来させない、自分を守ること。
反対も然りで、相手の境界線を越えて入って行かないことで、相手を守ることにもなる。
つまり、お互いを守る、傷つけ合わないために必要な概念なのです。
バウンダリーを維持するために必要なのは簡単なことで、「相手が苦痛に感じることをしない」「相手が『嫌』と言ったら素直に応じる」ことです。


なお、こちらのソーシャルワーカーさんの記事にあるので、引用します。

co-coco.jp

「なぜ」の形をとって相手を責めることも、バウンダリーをぐらぐらにするメッセージの一形態です。「(あなたは)なぜできないの」「(あなたは)なぜそんなことするの」どちらも疑問系ですが、ほとんどの人がそれらが単純な疑問ではないと知っているでしょう。

トピ主の彼は、「なぜ頑張れないのか」と責めています。
これは正に、この例に当てはまります。

 

また、トピ主を「何でも愚痴を言って人のせいにする、他責思考が酷い」と言っている人もいました。
同じ記事に正にこれへのカウンターがあるので、引用します。

私たちは小さな頃から「人のせいにするな」「世の中のせいにするな」と言い聞かされてきました。しかし他者の言動よって、あるいは環境によって傷ついたならば、その原因をちゃんと「人のせい」「世の中(環境)のせい」に投げ返して線引きをしなおすのは当然のことです。「私のせい」を手放すことも、バウンダリーと復元し守るために必要なプロセスなのです。

 

バウンダリーから学んだら?」とトピ主に言い放った人、こういうことを知った上で言っていますか?

 

 

5.最後に(全体に言えること)

2つ、最後に言いたいです。
1つ目。物事には、表現というものがあります。
「その強いプライドを捨ててバカになって」という表現を始めとした、憶測という名の妄想に基づく余計な一言など、同じ趣旨のことを言うのでも、相手を傷つけるような表現が散見されました。
意図的に傷つける言い方を選んでいるのなら、ぞっとするような悪意ですし、無意識でそうなるなら、そんな発言をする人間こそ、その人の程度が知れるというもの。「あなたにだけは言われたくない」というやつです。

 

2つ目。何度も書きましたが、想像力が著しく欠如しています。
「若いんだから働けばお金なんて何とでもなる」という人。今は体調を崩して働けない、と言っている人に対して、「がむしゃらに働け」と言うのは、相手を追い詰めるだけだと、どうして気付けないのでしょうか。
「頑張るしかない」という強制も同じくです。
「もうこれ以上頑張れない」と言っている人に「頑張れ」というのは、あまりに酷であると、気付かないのでしょうか。
そうだとしたら、それは想像力の欠如にほかなりません。

 

 

こんなの目にしなければ良かったなあとつくづく思いながら、そんな憤りを覚えました…