こんばんは。
こんにちは。
映画『アダムス・ファミリー』の大ファンだったので、今回、Netflixオリジナルである、スピンオフの『ウェンズデー』を観ようと……は、思っていませんでした。
『アダムス・ファミリー』の映画から約30年経っているので、当然なのですが、俳優さんたちは変更されるわけで。
とはいえ、ここまで変わります? というくらいの変わりようで、違和感がすごかった。
しかし、食わず嫌いは良くないかな、と『ウェンズデー』を今更ながら鑑賞しました。
2期も始まるとのことで。楽しみですね。
一気見したのですが、まずは本編どころじゃなかった感想を書いてから、ストーリーに関する真面目な感想を書きます。
もう何周遅れなんでしょうか、というくらいの遅さなので、ネタバレありです。
1.本編どころじゃない感想(真面目に不真面目)
(1)俳優さんと設定が、俺の愛した『アダムス・ファミリー』から変わり過ぎてる
ゴメズが、ブサイクという設定を活かし過ぎてる。
俳優さんの外見をdisってるわけではないんです。あくまで、「ゴメズ」という役柄を演じるにしては、品がなくなってしまっていて、ちょっとやり過ぎてる。
モーティシアとウェンズデーは、もっと青白くて薄い顔立ちだったのにな…
そして、ウェンズデーは基本的に無口で、ときどき口を開くと、すごい毒舌なのが魅力だったのに、主人公になったせいで、めちゃくちゃ喋る。
彼女の内心や考え方をたくさん説明してくれて、現実に喋ることは少ない、という展開ならまだ好みだったけれども、まさかここまで喋りまくるとは思わなかった。
ゴメズとモーティシアの学生時代の事件も、こういう人間臭い言動をさせるくらいなら、止めてほしかった…
(2)日本語版吹き替えの声優さんでどうしても笑ってしまう
基本的に、海外の作品は字幕で観るようにしています。
ただ、この作品は、字幕だと、自分にはスピードが遅く感じることと、8時間テレビの前に縛り付けられる余裕は無いので、流し聞きしたかったことから、日本語吹き替えで1.5倍速で観ました。
そのせいで、気付かなくていいことに気付いてしまった…
最初に耳にしたときに、若干「あれ?」と意識に引っ掛かって、見てみたら案の定…
ウェンズデーを取り合うタイラーとゼイヴィア。この構図、面白過ぎて、途中からずっと笑ってしまいました。
いや、何とは言わんよ? 言っちゃいけない暗黙のルールのようなので、言わないですけど。
関西弁で「誰や」って聞いてくる人と、冬眠する動物の人でさ、何しとん…?
何この、「一部界隈では黄色い悲鳴が上がっていそう」な配役。
特にタイラーの登場頻度が高くて、本編どころではなくなってしまったので(話が入って来ない上にひたすら笑っちゃう)、できるだけ彼らの登場シーンでは英語に戻して観ていました。
どちらも、2期も登場しそうですよね。勘弁してくれ、ストーリーをちゃんと追わせてくれ…!
そもそも、『ウェンズデー』において、ラブコメ要りました? すっごい謎なのですが。
ウェンズデーがダンス上手いことは分かったけど、ラブコメ要素自体、必要でした?
2.本編の真面目な感想
(1)「家族」という規範の受容への気持ち悪さ
「のけ者」はバンパイア、人狼、ゴルゴンとセイレーンしかいないの…?
という謎はあるのですが、それは置いておいて、ネヴァーモア学園に通う「のけ者」の学生たちが「家族」」という枠組みに嵌められていく姿、というのは、観ていて不快でした。
これまでの『アダムス・ファミリー』に登場する一家は、既存の「家族」という体制、枠組み、規範、というものへのアンチテーゼを提示していた作品だと思うし、そこに、視聴者は魅力を感じていたのではと思っていました。
そうした今までの作品のスタンスの対極のように、ゴメズやモーティシアが「家族」側を演じ、ウェンズデーを当て嵌めようとしてくるのも嫌だし、彼女が、その枠組みに対し最初は嫌悪感を抱いていても、最後にはそれを受容する姿を描くのも、もっと嫌だった。
セイレーンであるビアンカに対しても、母親が新興宗教?なのか、モーニング・ソングなるものにハマっていて、力になるように強制してくる。
彼女は、それが嫌で、本名を変え、セイレーンの力(歌(というより作中では「言霊」に近い)で相手に言うことを聞かせる)を利用してこの学園に入学していた。
「家に戻りたくない」というビアンカに対して、母親は「セイレーンの鱗は一生付き纏う」「戻らないなら、学園に、あなたがセイレーンの力を利用して入学したことをバラす」と脅す。
ビアンカは、結局、この母親から逃げることはできません。
「家に戻るから、あと一年(学園を卒業するまで?)待って」という猶予を付けるのが精一杯。
人狼のイーニッドは、人狼でありながら狼に変身できないことについて、家族(特に母親)からプレッシャーを掛けられており、サマーキャンプに行くことまで勧められる。
一方で、父親からは「そのままでいい」と言われ、抱き合う場面はある。
しかし、最終話で狼に変身できるようになり、喜びます。
彼女は、母親のプレッシャーから解放されることより、おそらく、途中でウェンズデーに吐き出していた「群れに入れない、孤独に死ぬことへの恐怖」から解放されたことに喜んでいるんだと思います。
だとすると、彼女もまた、体制、大衆側に参加できることをポジティブに捉えているとも読める。
三者三様、これまでの『アダムス・ファミリー』とは真逆のメッセージで、観ていて非常に気持ちが悪かった。
(2)ウェンズデーが「正義のヒーロー」として活躍することへの違和感
序盤、ウェンズデーは、弟をいじめた男性たちが泳ぐプールにピラニアを放つなど、これまでの作品のように、程度が行き過ぎたいたずらを行うところがありました。
このピラニア事件で学校を追われたウェンズデーが編入したのが、作品の舞台であるネヴァーモア学園であり、ここには、人間以外(例外あり)の「のけ者」たちが集う場所です。
しかし、「のけ者」たちが集まる場所においてすら、ウェンズデーの立ち居振る舞いは「のけ者」扱いされます。
そんな彼女が、学園の謎に迫り、最終的に、「学園を救うため」に行動します。
これは、観ていて本当に違和感がすごかった。
ごめんなさいね! 何度も繰り返しますが、映画『アダムス・ファミリー』が大好きだったものでね、彼らがはちゃめちゃな、不謹慎とまで言えるようなことをしでかし、既存の秩序なり、規範なりといったものを次々と破壊していくことに、痛快さを覚えていたわけで。
今ある世界を彼らが引っ掻き回すことで、何が正しいことか、判断基準が分からなくなることの面白さ、ある種、混沌への憧憬のようなものがありました。
でも、それがこの作品にはない。
導入部分にこそ、先述のようないたずらの描写はあるけれども、彼女の立ち位置はあくまで「正義のヒーロー」であり、既存の勧善懲悪の世界に依って立ってしまっている。
だからこそ、そこに驚きや新鮮さが微塵も存在しない。
「他人にどう見られるかは気にしたこともない」「むしろ気にしてみたい」と自分自身や、作中での他者から評価されるウェンズデーですが、真にそうなら、母子の関係や、自分のルーツにあそこまで固執しないと思うのです。
そのために、彼女のそうした、「自分は自分」というスタンスのようなものが、非常に薄っぺらく、また、ある種虚勢のように感じられる。
「人間は社会的な生き物だから、他者との関係性の中でしか生きられない」という、既存の価値観の中にしか、彼女もまた存在していないのだな、という、落胆すら覚える。
誰が化物なのか、誰がジョセフ・クラックストーンの末裔なのか、といったミステリ要素もあるのでしょうが、そうしたストーリーよりも全然、作品全体から香ってくるこうした匂いが、個人的には非常に相容れなかったです。残念…
何よりも、『アダムス・ファミリー』(2を含む)を配信しないところにNetflixの心の狭さを感じた…
U-NEXTで配信されていますので、スピンオフ元にご興味のある方は是非!!
✻8/10更新
『ウェンズデー』2期が配信された現時点で確認したところ、Netflixでも配信されているのでこちら削除いたします!