あお くろ ぎんいろ。

ぽつっと、ひとりごと。 たまに、しゅみをつめこんでみる。

2024.11.26_少しだけ真面目な雑談日記







しんどい。
服薬をおサボり申し上げ候侍の副作用がじわじわと来ている。
呼吸がうまくできないし、体の自由が利かない。
ストレスで免疫も落ちているしな。自業自得…



はい。
覚悟を決めて、やっと『NOTOK』を聴けたので、ヒトリエさんのライブラリを、何年かぶりに開いた。
結論から書きます。無理でした。
何を聴きたいか考えがまとまらないし、指の震えが止まらないので、とりあえずシャッフルボタンを何とか押す。
『(W)HERE』。だめだ…涙が止まらない。
シノダさんボーカルの曲なら聴けたからって甘く見ていた。
だめだーーーーーーーー!!まだ全然だめだ!!
ずびずび泣きながら、twitterに書いたのですが、『カラノワレモノ』の最初の収録音源とリマスター音源を聞き分けられるようになっていました。いよいよ変態かもしれない、と思いましたが、そんな方はたくさんいらっしゃるかもしれないから、やめておきます。それか、皆変態なの…!?

エイトラにしても、ヒトリエにしても、僕にとっては、失ったものが大きすぎたなぁ。



昨日、こちらもtwitterに感想を書いたのですが、『家族が誰かを殺しても』(阿部恭子さん著)をやっと拝読しました。
東池袋の事件をきっかけに購入したものの、その章だけで重すぎて、当時は読み進められなかった御本。
やっと、読み通しました。

まあ、東池袋の事件発生当時、具体的には書けないけれども、僕自身、全くの無関係という立場でもなかったので、加害者に対するバッシングの酷さには戦慄を覚えたし、怯えた。
これほどまでに多くの人間が、匿名であることをいいことに、ある種熱狂的と表現できるほど冷酷に、人間を徹底的に叩く。
上と下とか、高齢者と若者とか、さもありなんという二項対立を作り出して、他者をずたずたに傷つける自分自身の立場を正当化する。
加害者を叩く罵詈雑言が虚偽情報と知っている立場だったこともあり、それを皆さんは真実だと信じ込んで踊らされているのか、それとも嘘だと知っているが、とにかく誰かで憂さ晴らしをしたくてたまらないのか、目的が分からず、本当に怖かったです。

僕はこうした御本を拝読する度に、『十二大戦』の失井さんの言葉を思い出します。
彼の生き方、姿勢、正しさ。
毎回、振り返って己はどう生きてきただろうか、と思います。

どうにも、「正しいこと」というのは相対的なようで、でも共通認識のような面もあるようで、取扱いが厄介な代物だと、僕なんぞは思ってしまいます。
でも、だからといって、それを、正しいことをしない理由にはしたくない。
それこそ、「正しいことをしなくていい理由は、いくらでもある」。
でも、それは正しいことをしないという選択を自らした、ということで、そんな適当な言い訳をつけて逃げたくない。
自警団のように正義を振り翳す人間にはなりたくないけれど、自分にできること、自分が正しいと信じたことは、「しよう」という意思を持って、する。「①すると決めて、②する」。

加害者家族支援って、何ができるんだろう。
根拠のない伝聞に振り回されることだけは避けたいから、SNSや報道に接さない、と思い決めてきたけれど、それも傍観者みたいだろうか、というのは、これまでも何となく感じていた。
何か、僕にでもできることを模索しないとだな。

いつもあなたの隣に居る人が、今日、突然、居なくなるかもしれない。
これまでの日常が、一瞬にして、永遠に奪われるかもしれない。
それは、被害者の立場かもしれないけれど、加害者の立場かもしれない。
そう想像したときに、あなたは、あんな私刑を平然とできるのか、と問いたい。
自分がそうされる立場になったときのことを考えてほしい。
これは随分前から言われていたことだけれど、この世界は、「想像力の欠如」が顕著だと感じる。
でも、こうして顧みると、僕もいつの間にか、想像力が欠けていたかもしれない。

これは御本とは関係ありませんが、残酷表現がこの世に存在する理由として、江野スミ先生が仰ったことが、正鵠を射ていたと、何年経っても思います。
残酷描写そのものを目的として描く方もいらっしゃるかとは思いますが、江野先生の考察の方が自分には納得がいきました。
どんな単語にも、語尾に「力」を付ける慣習は好きではありませんが、「想像する」ことの大切さは常に意識していたいなと。

それで少し話は戻りますが、僕は、できることはそのときにする(できると感じた時間が貴重だから機を逃さない)、後延ばしにしない(時間が限られているから)、するべきだと思ったことはする(やらない偽善よりやる偽善)、他人に常に誠実である、悔いの無いように毎日を生きる、ということを自身に律してきたけれど、今回の御本は、改めて省みる機会になりました。



…ということで、推しには貢げるときに貢ぎます。
それと、欲しいものリスト(世の中では「干し芋」と呼ぶのですね)を公開している推しにも貢ぐからな!!
僕が居なくなった後の世界に、僕の私財なんか残っていたって意味が無いので、推しに全振りします。
今生きて活動している推しが貴重です。元気に生きていただきたいです。それだけです。

でも、がるまにさんで「これが好評みたいだから…」と仰っていると、「べっ、別に〜…?」と逆張りしたくなるのは何故。購入したくなくなるから、いつもどおりスッとやってください…!いや、こちらが紹介ページを読まなきゃいいだけですね、はい、すみません。

YouTube投げ銭して、ほしい物リストを狩り尽くし、がるまにさんなどの販売サイトで作品を買い、チップを付けられるものには上限まで付けてグッズを買う。経済を回すんだ(肩ぐるんぐるん)。



あと、久々にログインしたら、pixivの通知がえらいことになっていました。
ああああああすみません、ありがとうございます。
にしても、フォロワー様が増えていたのには、ビビり散らかしました。
何も更新していませんが…!?怖い、何でだ。
特に現在未完結の作品は、自分が書きたいだけというか、正直、誰にもウケないこと請け合いというか、もう自暴自棄で、粗削りも甚だしくてお休み中ですし。何でだろうな…前の作品かな…
ともあれ、有難いことなのは確かなので、本当にありがとうございます。
一応フォローしておいてやるか、のお気持ちだけでも有難いです。あとちょっとで100人!?
お一人お一人に感謝です。
僕なんかが書くものが、お眼鏡に適うものなのかは判然としませんが、どんな出来でも、どこかでどなたかに届くかもしれないボトルメールだと信じて、これからも続けたいと思います。