あお くろ ぎんいろ。

ぽつっと、ひとりごと。 たまに、しゅみをつめこんでみる。

2019.10.10_映画『HELLO WORLD』『ジョーカー(JOKER)』感想



こんにちは。久々に日記を書く気がします。いろいろと参加していたはずですが…

映画『HELLO WORLD』と『ジョーカー(JOKER)』を鑑賞した感想を書きます。
あらすじなどは抜きで、ネタバレしかしていないので、まだ観ていない、ネタバレは見たくない、という方は、こんな日記など読まずに映画館へ行くか、他の方の記事をご覧になることをお薦めします。

 







さて。

そもそも何故この2作品を同じ日記の中で書くかというと、鑑賞した日が同じだとかそういうことではなく、
両者が類似の構図を持った作品だと感じたからです。
もう、この文章を読んでいる方は、両作品を鑑賞した、又はネタバレ歓迎の方のはずなので、簡潔に書きます。
類似の構図というのは、「主人公がそれまで現実だと思っていた世界が、実はそうではなかったことが明かされる」、いわば舞台の反転です。
これは、この日記を書いている雨影がかなり好きな展開で…信頼できない語り手による物語ですね、夢野久作の『ドグラ・マグラ』のように胸が悪くなるくらいのお話が好きです。
この話は長くなりすぎるので割愛します。本当はしたくないです…


それぞれの感想を書きます。
HELLO WORLD』の方は、先にツイッターに書いていたものの清書です。


●映画『HELLO WORLD
こちらはネタバレ云々というより、驚いたのが、映画を鑑賞した翌日に、Wikipediaを何気なく見たら、あらすじに「ラスト1秒」の結末まですべて書かれていたこと。
ある映画を見ようかな、どんな作品かな、と気になったとき、一般的に人々がどこの情報を見るか分かりませんが(公式サイトや口コミなど?)、Wikipediaを開いてしまった人がいたとしたら、ストーリーという観点では何の驚きもなくなりますね
Wikipediaはたまにこういう記事があるから面白い

感想ですが、まずは、「とんでもない情報量」の一言。
一度では到底受け止めきれないので、何回か観ないとな…と思わされました

カタガキが切なすぎて、ちょっともう…泣いた……
彼の心情を考えると、胸が締めつけられるように痛んで、涙が止まらなかったです。

Wikipediaが結末まで書いているので(笑)、堂々と書きますが、
後半で、カタガキにとっての「現実世界」でプログラムが暴走して、京都タワーで刺し殺されそうになった時(すごい字面だな、凶器が京都タワー…)、消滅を受け入れたカタガキが堅書を庇って、そして、致命傷を負いながらも、好きだった女の子に告白して笑顔で涙する場面。
もうあの京都駅大階段の場面が、個人的にクライマックスだった。
ぐぅぅ…って呻きそうになりながら泣いた。
カタガキに感情移入していた。だから、堅書が一行さんと手を繋いで遠くを見据えるシーンは、物語として理解はするけれども、絶対納得はしない、と思った。
どうしてお前が生きるんだ……と、理由は分かっても割り切れないところが多分にある。
でも、ほかならぬ「カタガキ」がそうすることを選択したのだからと、やや冗長な結末だな、と思いながら、飲み込んだ。

だから、その後の舞台の更なる反転は、冗長が「過ぎる」としか思えなかった。
堅書の結末を、納得はしないけど、理解はする。そういうものを「ハッピーエンド」的に描くなら、そうなんだろう、と思って、カタガキが死んだ後からエンディングまでの時間を、ある種「おまけ」、「空隙」のように、心の整理を付けながら眺めていた。
だからこそ、その後にさらにあんな展開を用意するのは、おまけが長すぎる。
作り手としては、あの舞台の反転をこそ、「ラスト1秒で引っ繰り返る」と楽しんでほしかったのかもしれないけれど、申し訳ないけれども「おまけ」としか認識できていないから、単純に「長過ぎないか?」しか出てこなかった。

空隙を「空隙」としか認識できなかったせいか、カタガキには申し訳ないけども、最後については、えー…と思ってしまって、複雑な心境…
生きていてよかった…のかもしれないけれど、喜ぶこともできないな…という感想。
カタガキに、そして堅書に、「本当は」何が起きたのか、考察しないといけないやつなのかな

物語としてはそんな感想でしたが、それ以外については最高でした。
音響は流石の岩浪さんで、ビームというか、「ビシュ……ゥン」みたいな低い重低音を伴うところがいくつかあって(つくづく語彙がないな…)、そういうSFっぽい音は、いつもの大好きな感じでした。
あの、伝わらないと思うので、是非「シドニアの騎士」、「BLAME!」を観てください……
特に「BLAME!」は劇場に何度も観に行って、その度に圧倒的な格好良さで死ぬかもしれないと思った
Blu-rayも両作品とも持っているけれども、音響設備が整っていない自宅では……悔しい…

「音」でいうと、今回は音楽も素敵でした。
カタガキによる修行が、回数を重ねるうちに曲調にも変化がついていて、堅書の成長を感じられた

そして、この2曲…特にきらきらしていて、映画館を出てすぐ、慌てて買いました

Official髭男dism「イエスタデイ」

歌詞が映画の内容とリンクしていて泣けるし、そうでなくても、何度聴いても泣けてくる、切ない音で溢れた素敵な曲
初めて知ったアーティストさんだけれど、これが収録されている「Traveler」はどれもいい曲だな…


・OKAMOTO’S「新世界」

「主題歌らしい」主題歌です。
いや、何というかもう…もうよく分からないけど、映画を思い出して、良かったねって思って、笑えて、泣けてくる…とってもとってもいい曲


あとは、エンディングテロップで流れていた、「素材協力 『世紀末オカルト学院』」!
うわああ、いい作品ですよね!
とってもとってもいい作品なのです。監督が同じ方なのか。
どこに素材を協力していたのか分からなかったけれど、この作品名を目にして、子安さん…JK…しか連想できなかった
JKと千古さん似てる気がする、テンションとか、何となく
「歴史改変」という意味では似ているので、HELLO WORLDが好きな方には特に、そして好きでなくてもお薦め…
ガールミーツボーイで始まるけれど、ああいう主人公二人の程よい距離感は好きだ
最初は、文明が鬱陶しくて腹立たしく感じられるのだけれど、文明のことを知れば知るほど切なくなっていく…
そして、EDが本当に本当に素敵なのです、映像も音楽も……何度見ても切ない…

話を戻して、HELLO WORLDの方ですが、京都の再現度がとても良かった
よく見知ったところがいっぱい破壊されてた
歩道橋の場面がとても好きでした、CGの凄さに圧倒されるし、めちゃくちゃ楽しくて、わくわくした、そして気持ちがいい
あーあそこだ!と思うところがたくさんあるし、見ているとまた京都に行きたくなる、そうだ 京都、行こう



●映画『JOKER』
英語をカタカナ表記されている状態が苦手なので(説明できないけれど、何というか、ざわざわする)、アルファベット表記しています、すみません

もともと『バットマン』は、20年以上前?、親に連れられて映画を観たか、テレビ放送を観たか、その程度で、あまり知らない状態でした。
この『JOKER』も、放映されることすら知らなくて、たまたま9月に放送された『ダークナイト』を観たら好きなキャラクタだったのですが、ジョーカーがジョーカーになった経緯が描かれるらしいよ、とつい数日前に知ったので、観てみようと思い立ちました。
本筋と関係ないですが、『ダークナイト』も最後の台詞で語られるまで、「Dark Night」だと思い込んでいたんだ、「Knight」の方だったとは…やはり最初からアルファベット表記していただきたい…

閑話休題
『The Dark Knight』では、「完成された」ジョーカーで、例えば口が裂けた理由も、いくつも語られていて、どれが本当か分からない、一体彼は誰なんだ、という得体の知れなさが不気味で、そこが魅力的でした。
指紋などの個人の特定に繋がる情報もなく、まったく正体が分からない、そして何か人知を超えた超能力を備えているわけでもない、という人物が、様々な事件を次から次に、かつそれらを何でもないように引き起こしていく、というのが、なんとなく、例えば、今日、今この時、自分の隣にいる人物がそうかもしれない、というような、身に迫る恐怖、スリルを感じさせていたというような。
なので、『JOKER』でその経緯が描かれるというのは、暴かれてほしくないという思いも抱えつつ、ただ、好奇心には勝てなくて鑑賞した次第です。

一言で書くと、「不気味」でした。ただ、嫌な意味ではなく、ぞくぞくするような、否応無く引き摺り込まれていくような不気味さ。
アーサーの、病気による哄笑も、周囲に合わせて作った引き笑いも、どちらも鳥肌が立つほど不気味
途中まで見せていた、静かで上品な一方でどこかぎこちないダンスも、「ジョーカー」として吹っ切れた後の軽やかにはしゃいだ攻撃的なダンスも、どちらも不気味かつ惹かれる

ストーリィとしては、アーサーの視点で話を追うと、確かに本人の言うとおり、「社会」や「普通の人々」に理不尽に見捨てられ、あるいは切り捨てられた男が、悪へと傾いていく話なのかなと思う
一方で、ほぼ全てがアーサーの視点で展開されるため、どこまでが「客観的な事実」なのかが分からないため、本当にそんな話なのか、もしかしたら全てが彼にとって都合のよい、あるいは自身を正当化するための、妄想に過ぎないかもしれないとも思う
まあ、あんな、常にどんよりした天気の陰気な街に住んでいたら、精神に異常を来すのは自然のような気はしましたが…

貧富の格差、「普通」の人々が無意識に持つ傲慢、(精神・身体ともに)障害者に対する差別・無理解、社会福祉の重要性、匿名((様々な意味での)「identity」を失った/隠した、の意味)が包含する際限ない暴力性、児童への虐待がもたらす影響の大きさなど、この映画の観客が生きる現実世界を振り返って、問題を突きつけるテーマがいくつも詰め込まれているなと感じました

一番最後の場面と、「何故監禁されていたか思い出せないの?」についての解釈ですが、個人的には、時系列の逆転や、全編アーサーの妄想、というわけではなく、過去に別の事件(もしかしたら、冒頭襲ってきた子供たちに逆に怪我を負わせたなどで? それだと退院が早過ぎるかもしれませんが…)を起こして入院しており、最後は最後で、医師を殺して楽しそうに出て行っただけのことかと思いました
何故かと言うと、「思い出せないの?」と聞かれていた時の回想シーンのアーサーは、懊悩して扉に頭を何度も打ちつけ、いかにも「(普通の人々・社会によって)閉じ込められている」という印象でしたが、最後は、光の中、楽しそうに踊ったり逃げ回ったり?していて、「(閉鎖的な社会から)解放された」ような印象を受けたので、この時系列が逆、ということはないのかなと…
最初のカウンセリングで、部屋の時計も、回想の精神病棟の壁時計も「11:11」なのは意味があったのかなあ…
あとは、冒頭のテレビが「10:30」、マレーの番組に出演した時間が「22:30」なのも何かしら関係があるのか…? 考え過ぎかな…

最後に「あなたには理解できない」と言っていたジョークは、例の「硬貨な死を」だったのか、これから『バットマン』シリーズの中で引き起こす数々の事件のことなのか、他のことなのか、がよく分からなかった、文脈の勉強不足だなあ

あと、ふと思ったのは、服薬が「『普通』の人々に近づくための道具立て」なのかなということ。
最初は「薬の種類を増やしてくれ」(理由として「辛いのは嫌なんだ」)と言っていて、差別される側であることの苦痛や、「普通」の男性として振る舞いたいような様子があったけれども、最後は「薬を止めてすっきりしている」と言い出したのが、「普通」になろうとすることや、「普通」だったらこうしていただろう(主にソフィの幻覚)ということを、止めたことを意味していて、「ジョーカー」になっていくということなのかなと感じたので
(ここからは冗長・蛇足かつ、これを書いている人の暗い話なので、そんなものを覗き込みたい方だけに)

自分も長い間、かなり強い抗うつ薬、精神安定薬を飲み続けていたことがありますが、病気による気分の大きな波の幅を、無理矢理抑えつけて小さくしているような、どこか違和感と抑圧された感覚のある安定さになってしまうなと感じていたし、服薬を止めて、気分の波に任せることを決めた途端、かなりすっきりしてしまったので、それと同じ意味かは怪しいですが、かなり共感しました
あとは、病気ではないと思いますが、「笑ってはいけない」とされている場面で、可笑しくもないのに一人だけ笑いが止まらなくなって白い目で見られたり、周りが笑っている意味がよく分からず、最終的に周囲の顔色を見て、外形的に笑みを作ったり、ということもよくある・あったので…人体は不思議にできているものだなと思います


(ここまで)
それにしても、「親しげな」ソフィが幻であることは、かなり明示的に描かれるのだな(これを現実だと観客に思い込ませる・ミスリードさせる意図もないのだろうな)と思いました、尾行以降の登場シーンで、ずっと娘がいなかったので…違和感が凄かった

魂にずっと悲しみや孤独を抱えているのに、自分の社会的な役割としてそれしか選択肢がなく、人々から笑われ続ける(同時に、それは母親から要請された、人々を「笑わせる」ということでは決してない)人間の、そういう意味での悲哀を感じる作品でした
だからこそ、最後に「ジョーカー」というアイコンとなることが、相変わらず悲しみや孤独を抱えたままであるにも関わらず、少しでも救いに繋がったのであれば良いなと、不思議に、眩く射し込む一条の光を見たような気分になりました

何となくだけれど、江戸川乱歩の『踊る一寸法師』や『蟲』に通ずるような、人間の「笑い」が含む残虐さ、恐怖、そして「笑い」による社会からの拒絶、断絶を感じさせるものでした
読んだ後はしばらく、人間と接したくなくなる…





この時間帯に鑑賞後の勢いで、かなり勢いよく書いているため、誤字脱字、のみならず根本的に読みづらい箇所があったら申し訳ない限りです
もしここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

※これを最初に投稿して1時間半程度で少しずつ修正・加筆しました。