あお くろ ぎんいろ。

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2019.2.20_『コードギアス 復活のルルーシュ』感想


さて、こちらは『コードギアス 復活のルルーシュ』の感想です。
話の展開のネタバレにならない程度に感想を書きますが、ネタバレを仮にしようとしたとしても、大したことではないと思います…というのも、結局最大のネタバレはタイトルに既に書かれてしまっているからです。

毎回書いていますが、前提として、これを書いている雨影は、いわゆるアニメシリーズ『反逆のルルーシュ』の1期と2期(R2)は観ています。亡国は3話までで力尽きました。劇場3部作は観ていません。

感想ですが、一言で言えば、上述の通り、タイトルに尽きます。タイトルからして、終始想定できた展開でした。
そのため、制作側はこれを、どういう意図を以て制作したのかが読めなかったです…。ストーリーに意外性を持たせることはできない以上、何を描きたかったのか。ルルーシュが自分の人生を歩むまでの道筋なのでしょうか。
ネタバレにならないようにしつつストーリー展開をざっくり書くと、ルルーシュがピンチの場面で復活して何だかんだでピンチを切り抜けるお話でした。

ただ、申し訳ないのですが、個人的に、死んだはずの重要人物が実は死んでいなかったという展開が大嫌い、憎んでいるといってもいいほどなので、苦手でした。分かっていて観に行ったので、ああその通りなのか…と思っただけですが。
この理由は以前にも別のところで述べたことがありますが、長々としすぎるのでここでは省略します。
ただ、例えば、生死不明だった人物が死んでいなかった、というのは好きなのですが、彼の死を以ていろんなことが終わりを告げ、あるいは始まったにもかかわらず、実は死んでいなかった、は、ちょっと、うーん…何のためのアニメシリーズだったのか、と考えてしまいます。
また、シャーリーも健在で、劇場版では何かを運び出した描写があったらしいので、そこから繋がっているのでしょうが、その時点でアニメとは世界線が繋がっていないのでしょうか…ここら辺がよく分かりませんでした。

そして、様々な作品でしばしば取り上げられるテーマである「魂の在り処」の考え方についても、あまりこう…うーん、といいう感じでした。
というのは、今回は肉体に「心残り」のようなものが残っていてそれで動いており、魂はCの世界に行けば取り戻せる、という話だったのですが、人間の自己同一性など、どう考えているのでしょうか…。
他作品を引用するのは好きではないですが、例えば「鋼の錬金術師」におけるアルフォンスの葛藤のように、魂の自己同一性、一度「扉の向こう」に行って戻ってきた自分は本当に、そうなる前の自分と同一なのかを問う場面のような葛藤があっても当然ではないかと思いました。
また、「心残り」とありましたが、魂が抜けた人間というと、例えば自立した食事や排泄、歩行などが可能なのだろうか、というところが、あまり腑に落ちないままで。
さらに、魂の揺らぎというか、ルルーシュがスザクに対して「明日にはもうこの場にいないかもしれない」というようなことを言う場面があるのですが、それ自体は切なさというのか、寂しさというのか、胸を締めつけるような何かを感じさせるのですが、一方で、どういう理屈なのかよく分からなかったです。

他方で、アニメシリーズで好きだった咲世子さんとジェレミア(と同時に新井さんと成田さん)が大好きなので展開的には嬉しかったです。エンディングで咲世子さんがオレンジ畑に紛れてて笑みが漏れました。
黎星刻と天子様の組み合わせも好きなのですが、それは、もう仕方ないのだろうなとか、外見だけならシュナイゼルが好き(というよりも井上倫宏さんの声が好き)なので、そこもまた見られて良かったなと思ったり。
あとは、スザクがルルーシュを前にして露わにした態度は、ぐっと胸に迫るものがありました。
それと、最後のルルーシュがC.C.に掛けた言葉が、プロポーズのようにも感じられて、ああ、こうして彼はこれからようやく、自身のための人生を歩んでいくのだろうなと、感慨に耽りました。
同時に、ギアスから解放されることはないし、C.C.に対して抱えている感情もある以上、こういう人生を歩むことは必然なのだろうとも思います。
総括すると、美しい映像と素晴らしい音響と懐かしい楽曲、懐かしい面々、という点では、いい映画だったと思います。
(ただ、個人的には、ストーリー展開やメッセージ性、意外性に重点を置いて観てしまうために、うーん何とも…と思ってしまっただけでした。)
劇場版三部作を観ていたら、もう少し異なった感想だったのかもしれません。